イナズマイレブンGOを愛してやまないオタクの呻きブログ

イナイレを語ったり他のことを語ったり。

私にとってイナGOってなんだ

イナズマイレブンシリーズ(無印,GO,戦神)そのものについて語るとキリがないので、今回はGOに限定して述べようと思う。

 

題に対する回答としては、「わからない」。これが全てだ。だが、答えがそうであるのとは別に、その説明はある。

 

 

私にとってイナGOは「現時点での依存対象」...なのかもしれない。正直、ここまで一つの作品に執着心を向けたのは初めてだ。シリーズにおいて執着を向けたことは多々あるけども。

 

「安心できる場所」...なのかもしれない。「ある種の宗教」なのかもしれないし、「神秘的体験ができるコンテンツ」なのかもしれない。

 

 

ただ、これだけは言える。私にとっての最高の宝物だ。

私はイナGOで育った。キラキラしたものがそこにはあった。当時他の作品も見ていたが、明らかにGOは別格だった。

もし無印が放送されていたら、無印を一番好きになっていたかもしれない。無印の完成度は誰もが認めるものだろう。だが、事実、私はイナGOが一番好きだ。当時やっていたどの番組よりも、どんな思い出よりも、どの経験よりも、どの作品よりも、イナGOがずっと好きだ。

 

この文を異常だと捉える人もいるだろうし、その逆の人もいるかもしれない。それは自由だ。それでいい。正直、どっちの意見があってもいい。だからどうということはない。そこにあるのは事実だけだ。

 

 

イナGOは、とてもキラキラとしている。純粋で、平成だが少し昭和寄りで、超次元が爆発していて、過去を変えることの意味を考えさせられたりするなどメッセージ性が強くて、人間らしさに満ちていて、美しい。

 

観ている自分が価値のない存在だと思えば思うほど、イナGOの彼らが輝く。憧れの対象になる。これはきっと宗教的な捉え方だ。つまり、私は彼らを信仰している。

 

 

でも、きっとこれは一過性の感情に過ぎない。事実、去年までは薬研藤四郎という少年に依存していた。当時戦神の脚本を機にイナイレ自体に抵抗感があったというのもあるが、イナGO自体にはあまり目を向けていなかった。

 

 

私はイナGOを消費する罪深い人間であると共に、崇めている。

いや、普通に怖いな。

 

 

 

メイドインアビスの実況まとめにイナイレのことを書いたら、「イナイレ自体が呪いのコンテンツ」というコメントを頂いた。

呪いというのは、呪われている側が呪いと認識しなければ効力を発揮しない。私は認識している。つまり、私はなるべくしてイナイレを呪いとして成り立たせているのだ。そういった発見があった。

 

 

イナGOは私の救いであり、地獄をもたらすものだ。

そう思った。