桜前線最終章と完結後の予定について
桜前線はまだ中盤ですが、やはり最後について考えてしまいます。なので、最終話や完結後の予定の方針を脳内整理のためにも記述しておこうかと。
最終章のこと
まず、最終章について。先に書いておきますが、桜前線の主人公はキャンプ最終日に消えます。世界も全て消えます。そして、元の世界に戻ることはありません。あっけなく終わりを迎えます。
元の世界に戻って自分の死を悔い改め、家族と再会して「イナGOの世界楽しかったなあ。もうトリップはしないでおこう」という展開は王道でありハッピーエンドですが、それは本作では絶対にしません。対価をなしにトリップできるなんてそんな虫のいい話はありません。しっかりと対価は払ってもらいます。(トリップ協会目線?)
既に主人公の生命エネルギーは抜かれ、肉体は炭化して灰になっています。主人公が還る場所などとうの昔にありません。悲しいですね。
作者としての私はどちらかというとトリップ協会目線で本作の構成を考えています。だから、主人公や登場するキャラクターはただの商売相手・コンテンツです。しかし、自分が実際に執筆したり、読む側に回る時は完全に主人公目線です。ただただイナGOのキャラを愛しく思います。トリップ協会は自分の命を奪った「悪」です。
死について
死というのは突然来ることもあれば、ある程度予見することができるものでもあります。事故や事件で不意打ちで命を失うこともあれば、肉体や精神を徐々に何らかの害が蝕んで死を迎えることもあります。後者の場合は死のゾーンに入る場合が多く、どんどんと視野が狭まり、死が希望の光となり、そこに飛び込んで死にます。
因みに本作は後者に当てはまりますが、少しその性質が違います。側から見れば主人公は「幸せ」です。総合的に見れば「幸福」な状態です。幸福な形で死のゾーンに入れるのは美しいと個人的には思います。倫理的に良くはありませんが。
出典:https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27917660Z00C18A3000000?page=2
本作を書く上で、臨死体験の記事をよく参考にしています。それが最も死に近いと考えているからです。人は脳にショックを受けると自動的に脳内麻薬を分泌し、臨死体験中には「自分の全てが認められ、自分の生涯全てを思い出し、自分が救われた穏やかな心地がする」という気持ちになるらしいです。もし興味を抱かれたら是非調べてみてください。図書館やネットで調べられると思います。
今、死について書いている私が言えることではありませんが、一応注意点としては、普段あまり死に触れない方が良いです。上の画像にもある通り、死のゾーンに入る際は大体最初は「死に触れる」過程があります。そして、深入りして、視野が狭くなり、最後は鬱になって希死念慮の境地に至ります。興味本位で軽率に死に触れることはミイラ取りがミイラになる現象に近い結果になりますが、死のゾーンの構造を知ること自体は今後のあなたの人生において良い結果をもたらすと思います。自分を客観的に見ることができるようになりますし。
完結後の予定について
特に決めていません。その時の自分の考えや読者様のご意見を参考にその時に考えようと思います。
無印の再履修をしたいなと思っているので、それに伴い桜前線のようなトリップ小説を無印バージョンで書いてみるのもアリかなと思います。その場合、おそらくマンネリ化したりネタ切れすることはほぼないと思われます。無印の知識を詰め込みながら視聴者目線で考察したいので、トリップになるかなぁ。でも、違う系統の作品(その世界に住んでいて円堂守の幼なじみ設定など)でも面白いので、それでもいいかもしれません。結局は書く側も読む側も面白ければ何でもいいです。
もし作るとすれば、タイトルはどうしましょうか。「紅葉日記」「藍色のモノローグ」「青春の一ページ」「陽炎に燃える」「預言者」「熱に浸る」「白黒コデッタ」「ブラックボックス」とか。紅葉日記やコデッタはいいかも。
ただ、問題なのが、書く気力が残っているかという懸念です。桜前線を完結し、就職した後に書けるかというと...。うーん。老後にでも書きますか!笑
円堂守は自分にとっての根幹なので、書くと決めたら絶対最初から最後まで書きます。生半可な気持ちで書くつもりはないです。だからこそ、書き始めるには気力が要ります。困った。私は書きたい気持ちがあるのですが、無職でふらふらする訳にもいかず、リアルの人生を優先させなければいけないのでそのあたりは完結後にゆっくり考えていければいいなと。
再履修、楽しいんですが結構疲れるんですよ。もし今の自分が小学生ならば何も考えずにゲームに熱中していたでしょうが、今は本腰を入れるのも一苦労で...老化しましたね。もし社会に疲れて一息つきたい時があれば一気にやろうかな。
そんな感じです。